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2006 09,26 22:51 |
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昨日9月25日は、月例のコンポーネント仕様WGの打ち合わせでした。もう3年近く打ち合わせを続けており、毎年のように目標を設定しているのですが、なかなか達成できずにずるずるきています。
そんなコンポーネント仕様WGで検討しているTECS(TOPPERS Embedded Component System)ですが、TOPPERS/ASPカーネルへの採用予定を告知している関係もあり、ASPカーネルの予定が見えてくるとTECSの予定も見えてくるというか、そこまでに何とかせざるを得ないという雰囲気です。 例によって、あまり細かなことは書けないので、どうしても歯切れの悪い文章になってしまっていますが、TOPPERS/ASPカーネルの早期リリースがまもなく行われそうですし、他の理由もあって、来年のESECのころにはもしかしたら、と私は勝手に想像していたりします。 TECS自体ですが、正直言うと、あまりとっつきのよい代物ではありません。けれども、一度その旨みを理解できると、以後は無しでは済まなくなる(はず?)のものです。ASPカーネルも、JSPカーネルとは見た目からしてかなり変わっているので、両方あわせると最初は覚えることも多くなるとは思います。TOPPERSプロジェクトの成果物も、今後数ヶ月から1年以内に大きな節目を迎えることになりそうですね。 PR |
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2006 09,20 21:04 |
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前回も少し触れましたが、調子に乗ってInfoseek マルチ翻訳で阿弥陀経を試してみました。結論からいうと、あまり芳しい結果は得られなかったのですが、それでも流石はInfoseek マルチ翻訳です。できないなりにも、一矢報いてくれました。
それでは、早速阿弥陀経を日→英翻訳した結果を見ていきましょう。まずはタイトルからです。 仏説阿弥陀経 翻訳結果は次のようになりました。 It is passed through Buddha's teachings Amitabha 「仏説」が"Buddha's teachings"であり、「阿弥陀」が"Amitabha"に当たるわけですが、"It is passed through"というのは一体何なのでしょうか?いろいろと実験してみた結果、そして残りがそれしかないことから、どうやらこれは「経」を訳したつもりのようです。結構いい線を付いていただけに、最後の詰めが甘いのが残念です。あるいは英文の方も、私が知らない、字面だけからは分からない深遠な意味があるのでしょうか? とりあえず、これだけでは分からないので、本文の翻訳も行ってみましょう。 如是我聞。 翻訳結果は次のようになりました。 I have heard thus. たった四文字ですが、普通は日本語とは言わない漢文、しかも白文を見事に翻訳しています。しかも、原文からは時制もアスペクトも読み取れない状況でありながら、事情を察して、現在完了形にしてくれています。この辺りはやはりすごいとしかいいようがありません。 ところが、次の文 一時仏在、舍衛国、祇樹給孤独園、与大比丘衆、千二百五十人倶。 になると、全く駄目でした。一応、翻訳結果を報告しておきます。 A living-in-, it is 舍衛国, 祇樹給孤独園, 与大比丘衆, 千二百五十人倶 Buddha at one time. 少しでも翻訳しやすいように、旧字体は新字体に直し、適当に句読点を入れているのですが、やはり駄目でした。 前回の般若心経にせよ、今回の阿弥陀経にせよ、元々翻訳できることは全く期待していなかったわけですが、その割には、一部分とはいえ、かなり頑張ってくれました。正直いうと、私はこれまでちょっとした翻訳にはExcite 翻訳を使用していたのですが、今回の調査でInfoseek マルチ翻訳に乗り換えることにしました。 調子のよいときは、機械翻訳に頼らなくても少しぐらいの英文は読むのですが、疲れてくるとどうしても英文を読むのは面倒になります。実際、英文を読むと非常に腹が減ります。そんな私には、こうした機械翻訳は強い味方です。 |
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2006 09,20 01:56 |
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最近はウェブ上でのサービスもいろいろ充実して便利になってきました。特に翻訳サービスを利用されている方は結構おられるのではないでしょうか?翻訳サービスも、以前は日→英と英→日ぐらいだったのですが、近頃は韓国語や中国語などにも対応し、ますます便利になっています。
このように便利になった翻訳サービスですが、翻訳の精度というのは、サイトによってまちまちです。一時期、Exciteの翻訳サービスで、「韓国の威信」とか「ハードディスク」とかを中→日翻訳すると面白いというネタがありました。中→日翻訳なのに、日本語を入れても、まともに翻訳できなくても仕方ないのですが、強引に処理してしまうところに妙なおかしさがあります。 さて、今回はタイトルでも取り上げたように、Infoseek マルチ翻訳についてです。私の性分というか、こういうのを見ると、到底翻訳できそうもない文を入力せずにはいられなくなります。今回も「一つイジめてやれ」と思って次の文を入力してみました。 摩訶般若波羅密多心経 するとどうでしょう。上の文を日→英翻訳すると、次のような結果になりました。 A mightiness wisdom attaining Buddhahood Prajna-para-mita-sutra 厳密に意味を汲み取れているかどうかはともかく、機械翻訳としては上出来です。普通の日本語には(摩訶不思議のような一部の例外を除いて)まず現れない「摩訶」とか「般若波羅密多心経」も意味を捉えていますし、一番驚いたのは、"A mightiness wisdom attaining..." の部分です。何と、意訳しようとしているではありませんか! まさか、このフレーズに特化した処理を特別に設けているのでしょうか?「もしかすると...」と、かすかな期待をこめて、次を入力してみました。 観自在菩薩行深般若波羅密多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。 日→英翻訳結果は次の通りです。 I watch 観自在菩薩行深般若波羅密多時, Teru, and it is five aggregate non-substantiality of all forms of existence of the world, degree all mischief and grievance. 流石にこれは無理なようです。しかし、「照見五蘊皆空」のあたりは、何とか翻訳しようとして、結構いい線を付いています。「五蘊」というのは「色」「受」「想」「行」「識」の集合のことですが、"five aggregate"というのは悪くないですね。一番驚くのは、"non-substantiality of all forms of existence of the world" の部分です。「五蘊皆空」の真意を読み取り、「この世の形あるものは全て実体がない」と言い当てています。 これ以上やると、流石にボロが出そうなのでやめておきますが、Infoseek マルチ翻訳は、特に慣用表現とも思えないようなフレーズまでどうにか意訳してしまうすごい性能のようです。 ところで、般若心経は(唐の時代のものとはいえ)一応中国語なので、中→日翻訳も試してみましたが、こちらはさっぱりでした。興味のある方はいろいろ試してみてください。しかし、般若心経はメジャー過ぎたのかもしれませんね。次は、阿弥陀経でも試してみましょうか。 |
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2006 09,16 23:13 |
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昨日は夕方から大騒ぎでした。外が真っ暗になったのに、外に遊びに出かけていた長男が帰ってこないのです。一緒に遊びに出た長女と義妹の話では、途中ではぐれてしまい、捜したが見つからないとのこと。しかたがないので、私も含めてもう一度外を捜して回りました。
行きそうなところは一通り捜したのですが、なかなか見つかりません。小学生の長女から、警察に言った方がいいと提案があったようで、義妹と長女は近くの交番に。 その頃、私は別の場所を探しに出ていたのですが、携帯電話に妻から連絡が入り、(近くの交番ではなく)ずっと遠くの交番で長男が保護されていて、近くの交番まで(パトカーで)送ってくれるとのこと。 結局、長男は無事に帰ってきましたが、近頃はいろいろと物騒ですし、自動車も多いですから危ないですね。最近は長男も自転車に乗って出かけるようになったので、ちょっと油断すると、遠くまで勝手に行ってしまいます。 交番から帰る道中、本人に話を聞くと、遠くまで出かけたはいいが、帰り道に迷ったとのことでした。何度叱っても言うことを聞かないので、たまには怖い目に遭うのもよい経験でしょう。とにかく、無事で何よりでした。 |
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2006 09,15 01:46 |
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今回のタイトルは「孫子」の謀攻篇の中の有名な言葉ですが、我が家では、最近どういうわけか夫婦や親子の会話でこの手の話題がよく出てきます。
うちの長男も反抗期なので、いろいろと父である私を挑発し、闘いを挑んできます。そしてその度に返り討ちにあって、ボコボコにやられています。負けず嫌いな長男は何度でも挑んでくるわけですが、それを諭すのに使うのがこの言葉です。実際にはもっと分かりやすい言い回しに変えてはいますが...。 「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。」 戦って勝つ力を身に付けることは大切ですが、無闇にその力を行使するのは最低です。戦わずに相手の戦意を挫くか、懐柔して仲間に取り込め、と、わずか4歳の子には過酷な要求をしているのですが、なぜかうちの子は、その手の駆け引きには非常に長けています。以前は「闘うぞ!」といって挑んできていたのが、いつからか「闘うわけじゃない」といって、少しずつ段階を踏んで、巧妙に要求を通すようになってきました。 子供というのは、何とかの一つ覚えで、上手い方法を見つけるとそればかりになりがちなので、今後は次のことも教えないといけないようです。 「勝兵はまず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵はまず戦いて而る後に勝を求む。」 いくら戦わずして勝とうとしても、どうしても戦わざるをえない状況に陥ることはあります。戦うなら勝たなければなりません。悔いの無いように全力で戦って玉砕というのは、スポーツならそれでもよいかもしれませんが、現実にはそんな危ない橋は渡れません。徹底的に敵の戦力や状況を分析し、自分のそれも同様に分析した上で、勝算を得た上で戦いに臨まなければなりません。「戦って勝とうとする奴は阿呆」なのです。 そして、もう一つ重要なことを伝授する必要があります。人は時に、負けると分かっていても戦いに臨まなければならないことがあります。そのときどうするかです。これは孫子ではなく、私自身の言葉で伝えることにします。 「負けても構わないが、大負けはするな。大負けする奴は最悪だ。」 と。 日本では戦うことを前提とした議論がとかくタブー視されますが、こうした基本的なことは、子供が小さいうちから叩き込んでおく必要があるのではないかと思います。そうでなければ、安易な暴力に走ったり、国防問題に関しても何が正しいのか判断できないまま、そのときの雰囲気で選挙投票したり(棄権したり)してしまうのではないかと思います。 戦えば自分もただでは済まない。仮に自分のダメージを最小に抑えた上で、相手を壊滅させたとしても、それでは後に禍根を残すばかりか、屈服させた者の力を利用することができなくなる。 少し考えれば当たり前のことですが、やはり身体で覚えさせる必要がありそうです。 |
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