2025 01,29 08:10 |
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2007 02,10 13:39 |
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今日のお昼にアニマックスでやっていた「フランダースの犬」を見ました。このアニメは我々の世代では知らない人はいないぐらい有名ですし、実際私も子供の頃には見ていたのですが、子供の頃に見るのと、今見るのとではずいぶん印象が違います。
この作品はあたかも悲劇の代表格のようにして扱われ、私自身も以前は可哀想な話という印象を持っていました。しかし、今見てみると、アニメの演出はともかく、どう見てもハッピーエンドに見えてくるのです。 考えてもみてください。主人公のネロ少年は、それまでずっと嫌われていたコゼツ(アロアのお父さん)の誤解も解け、夢にまで見たルーベンスの2枚の絵を見ることができ、唯一の願いが叶います。そして、愛犬のパトラッシュと共に、天に召されて神の祝福を受けるわけです。人間の死にざまとしては決して悪いものではありません。 確かに、貧乏で身寄りもなく、教育も受けられなければ、ひもじい思いもしたのでしょうが、そんな世俗的な薄幸さが些細なことに思えるほどの至福に満ちたラストシーンでした。 この作品の中で、最終的にもっとも可哀想だったのは、ネロではなくアロアだと思います。地獄に堕ちたわけでもなく、天に召されたのですから、死んでいくものは極楽です。しかし、残されたものは、なおも世俗にまみれた苦悩と付き合っていかなければならないからです。 そういう意味では、同じような結末を迎える「マッチ売りの少女」、「人魚姫」、「幸せの王子」といったアンデルセン童話の作品も、必ずしも悲劇ではなく、ハッピーエンドなのかもしれませんね。 PR |
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コメント |
そういえば、確かにネロ少年の最期は安らかな笑顔でしたね。私は同時代に見てないですが、子供の頃は主人公の死イコール悲しいと単純に思っていました。
大人になった今は人の死が悲しいのは、それが永遠の別れを意味するからだと思うようになりました。そう思うと、死は残されたものにとっては悲しいことですが、本人にとっては別の意味を持つのかも知れませんね。 Re:安らかな最期でしたね
清宮さん、コメントありがとうございます。
死生観というものは、年を経るごとに変わっていくものです。 来週は「愛少女ポリアンナ物語」なので、また観てしまいそうです。 |
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