2025 01,31 11:49 |
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2006 06,28 09:31 |
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「ら抜き」言葉というものが取り上げられ始めてから、もう随分経つと思います。「ら抜き」言葉というのは、可能の助動詞「られる」を使用すべきところに、「れる」を使用するもので、結果的に本来あるはずの「ら」が抜かれることからこのように呼ばれます。
具体的には、受身・可能・尊敬・自発の助動詞「れる」「られる」は、上一段活用、下一段活用およびカ行変格活用の動詞に対しては、それらの未然形に「られる」を接続するのが正しいのですが、「られる」には受身・可能・尊敬・自発と4種類の意味があるため、そのうちのどれにあたるかは文脈から判断するしかありません。そこで、可能の意味に限り、「られる」の代わりに「れる」を使用することで、意味を明確にしようとするのが「ら抜き」言葉ということになります。 五段活用の動詞の場合、それを下一段活用にすることで「可能動詞」とすることができます。例えば、「動く」は「動ける」とすることで可能動詞になります。一段活用やカ変の場合はそれができないため、また、五段活用動詞の可能動詞化からの類推から、「ら抜き」言葉というのが使われるようになったのでしょう。 ところで、私の出身地では、本来あるべき「ら」がない「ら抜き」ではなく、本来ないはずの「ら」が入る方言があります。今、勝手に「ら入れ」言葉と名付けてしまいましたが、どんなものか少しだけご紹介しましょう。 打消しの助動詞「ず」は、動詞の未然形に接続するので、上一段活用の動詞である「見る」に「ず」を接続すると「見ず」となります。しかし、私の出身地の方言では、これを「見らず」ということがあります。しかし、決して「見る」が五段活用になったわけではありません。その証拠に、「見らない」とか「見ります」という言い方はしません。 この「ら入れ」言葉も、おそらくは五段活用からの類推で生まれたものと思います。「ある」+「ず」は「あらず」ですし、「売る」+「ず」は「売らず」ですので、「見る」+「ず」も「見らず」になったのでしょう。 日本の方言は、単に語彙が置き換わるだけではなく、このように基本的な文法まで異なる例が多々あります。古語と現代語を比べても、文法的な違いがあるわけで、古語と現代語の中間的な位置にある方言や、独自の変化を遂げた方言があるのも頷けます。 ちなみに、今回ご紹介した「ら入り」言葉は、(市とかではなく、町内レベルの)ごく狭い地域でのみ行われますし、方言は次第に失われる傾向にあるのも事実ですので、やがては消失する可能性も高いでしょう。それだけに、そうした特定地域でしか行われない方言を見聞きすると、子供の頃の記憶がよみがえってくるのです。 PR |
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コメント |
「ら入れ」言葉って、関西弁では本来「ら抜き」のはずなのに、らを入れて話すことかと思いました。
国語審議会が「ら抜き」言葉は日本語として正しくないと見解を出した時に、関西の多くの地域では昔から方言として「ら抜き」言葉を使っているという解説が付けられていた記憶があります。 なのにドラマなどでは、関西弁を話す人物が無理やり「ら抜き」言葉を矯正した、不自然な関西弁を使ってたりするんですよね。特にNHKに多い気がします。 |
コメントありがとうございます。
> 関西の多くの地域では昔から方言として「ら抜き」言葉を使っている 確かにそういうことはありますね。 ただ、私の出身地(兵庫県内)では、「ら抜き」言葉は一般的ではありませんでした。 この辺は結構微妙なところですね。 |
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