2025 02,19 11:59 |
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2007 05,06 16:54 |
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「人間というのは誰もが無限の可能性を秘めているもので、限界や不可能といったものは本来存在しない」という話をときどき耳にします。(可能性は無限ではなく、大きいけれども有限ではないかとは思いますが)確かに大筋では同意しますし、人を勇気づけるには十分効果がある言葉でしょう。
また、人類はこれまでにも不可能を可能にしてきた歴史があります。確かに100年前にはアメリカまで日帰りで行くことは不可能だったでしょうが、今なら何とか可能です。しかし、「不可能がない」ということを真に受けてしまうのは、ときとして人を不幸にしてしまいます。 結論から言うと、人間には不可能はあります。人間であるが故の限界もあります。わかりやすいように極端な例を挙げると、私は現在大阪の自宅でこのブログを書いています。時刻は大体16:53です。もし今電話が鳴って、今日の17:00に東京駅で会いましょうといわれても、その時刻に間に合うことは不可能です。人間には不可能があることを証明するには、こんな極端な例をひとつ挙げるだけで十分です。 もしここで「人間には不可能はない」という言葉を真に受けていたらどうでしょう。もはや超常現象の類に期待を寄せるしかなくなってしまいます。遠い将来、非常に高速な移動手段ができたとしても、「私が」「今日の17:00に」間に合うことはやはり不可能なのです。これが可能になるとすれば、それこそテレポートとか、未来にタイムマシンができて...という話をせざるを得なくなります。そんなことは「原理的に不可能」なのです。 実際には、ここまで極端な事例でなくても、不可能なことはいくらでもあります。しかし、状況が十分に把握していなかったり、(門外漢である自分にとっては未知の領域の)専門家の力を過信するなどして、「原理的に不可能」であるにも関わらず、奇跡を信じてしまうことがよくあります。 信じ抜く力というのは大切ですし、不可能に思えたことが可能になることがあるのも事実です。しかし、それはあくまでも事実誤認によって「不可能に思えた」だけであって、非常に困難であったかもしれませんが、実は可能だったということです。少なくとも「原理的に不可能」なことではありません。 まあ、到底できそうにない大きな障害に直面したとき、人間の気持ちとしては、嘘でもいいから「できる」と言って欲しいときがあるとは思います。それでも私はできない約束はしません。「原理的に不可能なことは、どんなに頑張ってもできません。」と言うでしょう。ただ、その後に少しだけ補足を付けます。「けれども、原理的に不可能でなければ、どんなに困難でもそれを克服することは可能です。」と。 |
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