2025 01,30 14:36 |
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2006 07,05 01:32 |
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宗教論争とか神学論争というと、不毛な議論の比喩として使われることがおおいのですが、実をいうと、私はこの宗教論争というのが嫌いではありません。私はプログラマなので、goto論争を初めとしたプログラミングに関する論争はもちろん、コンピュータ全般に関する論争もいろいろ目にします。
コンピュータが扱うデータのバイトオーダーが、リリパット国の争い*1に例えられるように、確かに不毛といえば不毛なのかもしれません。もちろん、リリパット国のように、激しい感情論を展開し、結果として戦争という暴力に発展するのは許されませんが、純粋に議論や検討を重ねるのはそんなに悪いことではありません。 リリパット国のリトルエンディアンとビッグエンディアンの件にしても、議論を進める過程で、卵の外殻の機械的特性や、作業効率、肉体的・心理的な効果など、いろいろと調査・研究が必要になることでしょう。それならば、錬金術の研究によって化学が発展したように、例え直接の成果は期待できなくても、それ以上に重要な成果が得られることもあるのです。 一番問題なのは、「宗教論争だ」というレッテルを貼り、議論や検を行うこと自体を否定してしまうことではないかと思います。これまで何度も不毛な議論が繰り返されてきたことであっても、そうした議論を知らない人たちは、やはりその議論を一度は経験すべきであるにも関わらず、その機会を奪ってしまうのはやはりよくないことでしょう。 傍目には不毛な議論に見えたとしても、それらに参加したものにとっては、(副次的であったとしても)何らかの成果が得られていることはよくあります。果てしない泥仕合の末、嫌な思いをするだけで終わるか、転んでもただでは起きることないかはその人次第です。 私に関していえば、(比喩ではない)本当の宗教論争も含めてウェルカムです*2。 *1 スウィフトの「ガリバー旅行記」に登場するリリパット国では、卵を割るときに、細い側から割るべきであると主張するリトルエンディアンと、太い側から割るべきだと主張するビッグエンディアンに分かれて戦争をしていた。 *2 ただし、監禁・拉致・脅迫・業務妨害行為はご遠慮ください。 PR |
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