2025 01,29 08:23 |
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2009 01,09 00:15 |
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今年もどうぞよろしくお願いします。
多くの方々から年賀状をいただきましたが、相変わらず私からは一通も年賀状を出していません。これは、高校生の頃に掲げた、「非核三原則」ならぬ「非年賀状三原則」が尾を引いているためです。 「非年賀状三原則」というのは、
その後、一時期禁を破って年賀状を出したこともあるのですが、基本はこの通りです。さすがに「受け取らない」を堅持するのは困難なので、これは有名無実化していますが、「書かない」「出さない」は現在も継続中です。 この「非年賀状三原則」というのは、何か思想上の理由があるのかというと、決してそのようなものではなく、虚礼廃止という名の下の怠慢に他なりません。にもかかわらず年賀状をいただいた皆さん、どうもありがとうございました。 PR |
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2008 07,26 13:32 |
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2007 03,18 23:12 |
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うちの子供たちは今、「Yes!プリキュア5」にはまっています。長女だけでなく長男までがピンキーキャッチュを欲しがったりしています。テレビの前で、主人公たちのポーズや台詞を真似しながら、非常にうるさい状況がつづいています。子供というのは、男の子も女の子も、テレビのヒーローになりたがるもので、うちの子供たちもやはり例外ではありません。
ところで、長女は地域でも屈指の遅刻魔です。そして、長男も幼稚園のバスを平気で待たせています。プリキュア5は、その名の通り5人のプリキュアで構成されるわけですが、うちの長女がプリキュアになったらということで名付けられたのが、「情熱の赤い炎! キュアルージュ」をもじった「キュアルーズ」です。 子供らは懸命に否定していましたが親は大爆笑です。あまりにも語呂がよすぎます。そして、もう一人は「知性の青き泉! キュアアクア」をもじった「キュアアクマ」です。こちらは語呂はよいのですが、普通すぎていまいちのネーミングでした。そこで今は、少し語呂は悪くなりますが、変身するとアフロヘアになるという設定の「キュアアフロ」というケロロ軍曹を彷彿させるネーミングになっています。 というわけで、もはや最初の「キュアルーズ」のような有意性はなく、単なる遊びとなってしまっています。やはり、ネーミングの良さは最初の「~ルーズ」が一番のようです。 |
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2007 01,12 11:27 |
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かなり遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
というわけで2007年を迎えたわけですが、今年はいよいよ私も40歳の大台にのってしまいます。一足先に大台にのった妻には、区役所から「ナイスミドル」(ものは言いよう)と呼ばれて介護保険を要求されていることをからかっていましたが、いよいよ自分の番が回ってきました。 今回のタイトルにも引用したように、「論語」の為政第二には、「四十にして惑わず」とあるわけですが、今回はこれについて少し考えてみることにします。「惑う」という言葉は、ほぼ「迷う」と同義語ですが、他にも「うろたえる」とか「判断力を失う」といった意味があります。「迷う」ということに関していえば、こと私に関しては、おそらく一生迷い続けることは確かですが、「惑わず」とはどういうことなのでしょうか? 孔子が説く「四十にして惑わず」とは、「40歳で狭い枠にとらわれなくなる」という意味だそうです。早い話が、目先のことに振り回されず、大局観をもって事に臨むようになるということでしょうか。まあ、その程度なら何とかなりそうな気がします。 しかし、よくよく考えてみると、15歳頃に学問を志し、30歳で自立し...ということであれば、どれをとってもちょっと遅すぎるような気もします。それとも、私が考えている「学問を志す」とか「自立する」というのと、孔子の考えるそれとは、かなり隔たりがあるのでしょうか? 何にせよ、私は孔子でもなければ儒教徒でもないので、細かなことはどうでもいいです。他人と比べて、早い遅いといってみても仕方がありませんから。それより、今後の身の振り方をそろそろ考える時期に来たような気がします。 今までは、長い間フリーランスの立場で、会社を設立してからも実態は何も変わらなかったのですが、現状維持というのが実は一番難しいことをずいぶん前から感じていました。自分自身も年をとるし、周囲の状況も変化するのに現状を維持するというのは、ほとんど荒波の中で姿勢を制御するぐらい難しいことなのです。 周りからは、会社の規模を拡大する路線を目指すように、ことあるごとに勧められます。確かにそれも一理あります。しかし、私としては今の小規模な活動で、自分の好きな仕事だけをやっていくスタイルの方が好きなのも確かです。もっとも、そうした好き嫌いは、とらわれるべきではない「狭い枠」なのかもしれません。 |
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2006 12,17 16:37 |
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我が家では、夫婦そろってコーヒーが好きです。近所の商店街で、その場で焙煎してもらったコーヒー豆を買ってきて、ブラックで飲むのが定番のスタイルです。このような飲み方に慣れてしまうと、はっきりいって喫茶店で飲むよりおいしいので、どうしても舌が肥えてきます。
ところで、コーヒー豆を買ってくるのはいいのですが、必ず最後は中途半端な量が残ってしまいます。同じ種類の豆ばかりを買っているなら、新しいものと混ぜればよいので問題はないのですが、異なる種類の豆が少しずつ残ってしまったりするわけです。 そこで登場するのが、「特撰残り物ブレンド」です。ブレンドといっても、テイスターがちゃんとブレンドしたものではないので、決して調和した味にはなりません。 特撰残り物ブレンドのコーヒーを口の中に含むと、この辺はバリアラビカ、こっちはマンダリンという具合に、明らかに別のものがパッチワークのように混ざり合っているのが分かります。さすがに一度にいくつもの味が楽しめるといった代物ではなく、決してまずくはないのですが、何となく変な感覚になります。 特にこのような飲み方はお勧めしませんが、何種類のブレンドまで判別できるかに挑戦するのも、遊びとしてはおもしろいのかも知れません。 |
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