2025 01,30 14:35 |
|
2007 01,12 11:27 |
|
かなり遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
というわけで2007年を迎えたわけですが、今年はいよいよ私も40歳の大台にのってしまいます。一足先に大台にのった妻には、区役所から「ナイスミドル」(ものは言いよう)と呼ばれて介護保険を要求されていることをからかっていましたが、いよいよ自分の番が回ってきました。 今回のタイトルにも引用したように、「論語」の為政第二には、「四十にして惑わず」とあるわけですが、今回はこれについて少し考えてみることにします。「惑う」という言葉は、ほぼ「迷う」と同義語ですが、他にも「うろたえる」とか「判断力を失う」といった意味があります。「迷う」ということに関していえば、こと私に関しては、おそらく一生迷い続けることは確かですが、「惑わず」とはどういうことなのでしょうか? 孔子が説く「四十にして惑わず」とは、「40歳で狭い枠にとらわれなくなる」という意味だそうです。早い話が、目先のことに振り回されず、大局観をもって事に臨むようになるということでしょうか。まあ、その程度なら何とかなりそうな気がします。 しかし、よくよく考えてみると、15歳頃に学問を志し、30歳で自立し...ということであれば、どれをとってもちょっと遅すぎるような気もします。それとも、私が考えている「学問を志す」とか「自立する」というのと、孔子の考えるそれとは、かなり隔たりがあるのでしょうか? 何にせよ、私は孔子でもなければ儒教徒でもないので、細かなことはどうでもいいです。他人と比べて、早い遅いといってみても仕方がありませんから。それより、今後の身の振り方をそろそろ考える時期に来たような気がします。 今までは、長い間フリーランスの立場で、会社を設立してからも実態は何も変わらなかったのですが、現状維持というのが実は一番難しいことをずいぶん前から感じていました。自分自身も年をとるし、周囲の状況も変化するのに現状を維持するというのは、ほとんど荒波の中で姿勢を制御するぐらい難しいことなのです。 周りからは、会社の規模を拡大する路線を目指すように、ことあるごとに勧められます。確かにそれも一理あります。しかし、私としては今の小規模な活動で、自分の好きな仕事だけをやっていくスタイルの方が好きなのも確かです。もっとも、そうした好き嫌いは、とらわれるべきではない「狭い枠」なのかもしれません。 PR |
|
コメント |
コメント投稿 |
|
trackback |
トラックバックURL |
ソフトウェア開発 ホームページ制作 はんこ 忍者ブログ [PR] |