2025 01,30 14:28 |
|
2006 09,15 01:46 |
|
今回のタイトルは「孫子」の謀攻篇の中の有名な言葉ですが、我が家では、最近どういうわけか夫婦や親子の会話でこの手の話題がよく出てきます。
うちの長男も反抗期なので、いろいろと父である私を挑発し、闘いを挑んできます。そしてその度に返り討ちにあって、ボコボコにやられています。負けず嫌いな長男は何度でも挑んでくるわけですが、それを諭すのに使うのがこの言葉です。実際にはもっと分かりやすい言い回しに変えてはいますが...。 「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。」 戦って勝つ力を身に付けることは大切ですが、無闇にその力を行使するのは最低です。戦わずに相手の戦意を挫くか、懐柔して仲間に取り込め、と、わずか4歳の子には過酷な要求をしているのですが、なぜかうちの子は、その手の駆け引きには非常に長けています。以前は「闘うぞ!」といって挑んできていたのが、いつからか「闘うわけじゃない」といって、少しずつ段階を踏んで、巧妙に要求を通すようになってきました。 子供というのは、何とかの一つ覚えで、上手い方法を見つけるとそればかりになりがちなので、今後は次のことも教えないといけないようです。 「勝兵はまず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵はまず戦いて而る後に勝を求む。」 いくら戦わずして勝とうとしても、どうしても戦わざるをえない状況に陥ることはあります。戦うなら勝たなければなりません。悔いの無いように全力で戦って玉砕というのは、スポーツならそれでもよいかもしれませんが、現実にはそんな危ない橋は渡れません。徹底的に敵の戦力や状況を分析し、自分のそれも同様に分析した上で、勝算を得た上で戦いに臨まなければなりません。「戦って勝とうとする奴は阿呆」なのです。 そして、もう一つ重要なことを伝授する必要があります。人は時に、負けると分かっていても戦いに臨まなければならないことがあります。そのときどうするかです。これは孫子ではなく、私自身の言葉で伝えることにします。 「負けても構わないが、大負けはするな。大負けする奴は最悪だ。」 と。 日本では戦うことを前提とした議論がとかくタブー視されますが、こうした基本的なことは、子供が小さいうちから叩き込んでおく必要があるのではないかと思います。そうでなければ、安易な暴力に走ったり、国防問題に関しても何が正しいのか判断できないまま、そのときの雰囲気で選挙投票したり(棄権したり)してしまうのではないかと思います。 戦えば自分もただでは済まない。仮に自分のダメージを最小に抑えた上で、相手を壊滅させたとしても、それでは後に禍根を残すばかりか、屈服させた者の力を利用することができなくなる。 少し考えれば当たり前のことですが、やはり身体で覚えさせる必要がありそうです。 PR |
|
コメント |
「負けても構わないが、大負けはするな。」っていい言葉ですね。項羽と劉邦の話を思い出しました。劉邦は項羽と百戦して百敗しますよね。でも大敗はしなかった。
大負けしないこと。大切ですね。 |
清宮さん、コメントありがとうございます。
日本で「孫子」を実践したとされる武田信玄と徳川家康は、上田原の戦いと三方ヶ原の戦いで、それぞれ大負けしています。劉邦も一度大負けしていますね。 大負けは大負けでも、信玄も家康も劉邦も、再帰不能になるほどの大負けはしなかった。 かく言う私も、(詳しくは書きませんが)一度大負けの経験があります。そのときを振り返り、妻と「あんな経験は二度するものではない」とよく話します。 そのとき、再起不能になるかどうかは、ほんの紙一重の差だったと思います。最後の引き際さえ見失わなければ、人生はやり直しがきくのです。 |
コメント投稿 |
|
trackback |
トラックバックURL |
ソフトウェア開発 ホームページ制作 はんこ 忍者ブログ [PR] |